あるブログのエントリとコメントのログの再公開


あるブログの過去ログを改めて公開する。これは、GoogleのWebキャッシュ」と同等の意味合いで、記録し、公開している。公開した私自身に、これらの文章を批判する意図も、非難する意図もない。
ただ、「あるブログのWebアーカイバ」という意味においてのみ、公開するものである。


http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060613
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060614
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060615
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060616
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060617
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060618


これらは、2006/6/13〜6/17にかけて、とあるブログにて公開されたエントリと、それにつけられたコメントのログである。完全なものではないが、できうる限り、もとの状態に近いものを公開したつもりである。
(特に、意図的に文章を付け加えたりはしていない。管理者によって削除されたコメント等を補完した程度である。)
このログに関する情報や、公開するに至った詳細は、
http://d.hatena.ne.jp/taichirou2006/20060701
を参照していただきたい。


一度、公開したにもかかわらず、「プライベートモード」にして非公開したのには理由がある。
それは、この公開記事そのものに対して、はてなブックマーク等でいらぬ誤解・非難を受けることを回避するためであった。いわば、「誤解された上で、非難されること」からのストレスを回避するためにとった自衛策であった。
先に公開した文章に、「これは、『Googleのキャッシュ』のようなものである。」と但し書きをしたにもかかわらず、この公開した行為に対して、

  • 「本当に死ねよ。この馬鹿。偽善的な文体で繰り言重ねてるんじゃないよ。」
  • 「(ログを公開したことに関して)この管理人は何と陰湿な。」

と言われたのである。公開するに至ったこちらの真意としては、誤解もいいところなのであるが、それに対して反論をしても、すでに「私を非難する」方向にバイアスがかかっている人物に対して、誤解を解こうとしても徒労に終わるのが見えていたため、敢えて、「逃げやがって」という批判を受けるのを覚悟してプライベートモードに移行した。誤解をもとにした揉め事は嫌いなので。
その結果、あるところで「腰抜け」「チキン」等の言葉を受けたが、プライベートモードに移行する行為が、そう非難されることは自分でも理解していたので、精神的に大したダメージはなかった。予想された反応の方が、誤解されることよりも、何倍も精神的には楽なものである。


また、再公開した理由は、このログの持ち主が、このログを記述していたブログから、ある一つの公開エントリを残して全てのエントリを削除し、そのハンドル名での活動の停止を宣言したからである。これにより、その本人が、それを書いたということも、書かなかったということも、第三者的に証明できなくなったからである。
つまり、ログを記述した本人も含め、誰も、このログが、「その人が書いたものである」ことを証明できなくなったためである。
(もちろん、ブログ運営会社はログを保存しているだろうし、過去の記事に対して、削除された記事であろうとブックマーク等である程度保管されているので、その意味で、ある程度「ここに書かれているいることが真実かどうか」確認する手段はあるかもしれない。しかし、それでも、このログが、ある特定個人が記述したものかどうかを確実に確認することはできない。なぜなら、ブログ利用に際して登録する情報に、正確な個人情報が含まれていないからである。)
つまり、このログは、私の完全な創作であるかもしれないし、誰かが書いたものの改変かもしれない。オリジナルが失われ、かつ、記述した人間もそのブログからそのログを消してしまった今となっては、誰も、「これは誰々がいつ書いたものである」という証明はもはやできない。このログが真実であるかどうかは、閲覧者の判断に委ねたいと思う。
(少なくとも、私にとっては、事実であり、真実であるが、それを第三者に証明することも、私にはできない。)


ここでは、私が、「なぜ、このように『ログを公開する』という行為をしたか?」について述べていきたいと思う。
これは、インターネットというものに対する、一つの実験である。
「Webの完全アーカイブというものが可能であるか」ということの確認である。
仮に、Web上に公開された「全ての」文章が、そのまま完全に保管され、参照可能な状態になるとしたら、、どのようなことが起きるか、という実験の一つである。
もちろん、「著作権」という問題をはらむのは承知の上である。
しかし、「著作権」を理由に、この行為を非難する人に考えてもらいたい。
例えば、Googleを使って検索した時、その大本のサイトが既に無くなっていて、Googleのキャッシュにしか残っていなかった時、あなたは、そのキャッシュを参照はしないのだろうか?
その「キャッシュを見る」という行為は、なんら問題のない行為なのだろうか?
もしかしたら、その大本のWebを書いた人物は、そのように参照されることを気持ちの上で拒否しているかもしれない。他の人に見てもらいたくない、自分にとっての「過去に発言した恥ずかしい文章」であるのかもしれない。
Google等においてWebキャッシュを見る、という行為は、私がこのように公開したものを見るのと同じ意味を持つ。
つまり、「著作者の意図に関わらず、そのWebアーカイブを後日、参照可能にする」ということだ。
過去に公開された論文や記事を参照するのと同様に、公開され「三者に読まれることを目的としていた」Webのアーカイブを、「原形をとどめたまま」保管し、公開することは、はたして、無条件に問題のある行為なのか?
もしかすると、のちに、その言葉が、その言説が、何らかの研究対象/研究材料の一つになるかもしれないのに、それを、「著作者が削除した/公開を拒否したから、公開してはいけない」ものになるのだろうか?
ユダの福音書」のように、その当時に、その言説が否定されたからといって、そのときの価値判断で、ためらうことなくその情報(コンテンツ)は失われても良いものなのだろうか?


今回、たまたま、著作者がなかったことにしたくなるような、過去、Web上に公開された(そして、著作者自身の手によって消された)ログが手元にあったので、このような実験の材料にさせてもらった。
つまり、「著作者が消したくなるような著作物を、Webアーカイブとして保存/公開することは、今後、どのように扱われるべきなのか?」という問題をみなさんに考えてもらいたくて、公開したわけである。
いわば、「たとえ第三者に(将来的に)有効な情報(資料)であっても、著作者が公開を拒否したら、その情報は失われるべき/公開されないべきなのか」という問題である。


そのため、私は、今回の件に対して、できうる限り、公開したログには手をつけていない。それは、「GoogleのWebキャッシュ」と同じ意味を持たせるためだ。
その意味からも、公開したログに対して、私は、一切の評論・批判もしていない。ただ、ログを公開するだけにしている。これも、「GoogleのWebキャッシュ」と同じ意味を持たせるためだ。
それでも、この行為に問題があると思う人は、Googleを含めた検索エンジン提供会社にも、同様に、「問題があるからWebアーカイブの収集は止めろ」というべきである。
私を非難したい人は、私を非難するのと同様に、Webキャッシュを保有して公開している、Googleを含めた検索エンジン提供会社も非難してください。
Googleはいいが、個人が公開するのは問題がある」
というのなら、その根拠を示してみてください。著作権の問題でも、検索エンジン会社は、私と同じ問題をはらんでいます。「法人はOKで、個人はNG」という理由が、私には思いつきません。
「恣意的に収集してることが問題」というのなら、検索エンジン会社の収集方法が、恣意的ではないという証明をしてください。(検索エンジン会社に問い合わせて「自動で集めてます」というような、会社としての回答を根拠にするのではなく、第三者的に「恣意的に収集していない」と証明するだけの根拠を示してください。)
今のところ、私には、その差が区別できません。Google等の検索エンジン会社が認められている行為ならば、個人的に同様の行為を行った、私の行為も許される行為だと思ってます。公開されて本人から個人的な恨みを買うことはあるにせよ、その情報を公開する行為そのものが、問題のある行為だとは思えないのです。


私も、ブログで、好きなことを書いて、批判もしたり、非難したりしている文章を書いていますが、よほどの事態がない限り、過去ログを削除・修正するという行為はしない(「てにをは」位は直しますが)し、そのときに書いた文章は、そのときの自分を明らかにする意味でも削除する気はありません。削除したのは、そこで述べられている論旨とは無関係な表現によって、その論述とは無関係な他者を傷つけてしまい、そのことを指摘された時、その文章が伝えたい内容の論旨に影響がないと判断されたときに、削除・訂正を行った程度です。当然、そのような行為によって傷ついてしまった人には、そのために単独エントリをあげて謝罪しましたが。
問題があった時、そのエントリを削除して「無かったこと」にするのではなく、あったとことして受け止めて、その自分が引き起こした行為に対して出来る限り誠実に対応・謝罪します。「この文章を誤解・誤読するお前らが悪い」なんて、露程も考えません。そんなことを考える人間は、どれだけ、自分が「自分の文章は、誤解無く伝えられる、万民が理解可能な論述で、自分は完全無欠の潔癖人間で人の上に立てる人物」と勘違いしているじゃないでしょうか。そういう人間こそ、最も、醜い心を持った、権威主義/差別主義者の、唾棄すべき人間だと、自分は考えます。
もちろん、このログを書いた人物がそのような人物だ、とはいいませんが。


もちろん、各国の「著作権」に関する定義が違うため、私が今回行った、このような行為が許される地域とそうでない地域があるのは理解しています。(日本では、おそらくはNG)
その「著作権」と「Webアーカイブの収集・保管」との間にあるグレーゾーンについて、みなさんがどのように考えるか。
そのことを確認したくて公開しました。
もちろん、このブログを載せているはてな株式会社や、警察等の公的機関からこの「ログ公開」という行為に関して注意が来たら、その指示には従うつもりです。


というか、この私の行為を非難するくらいなら、プライベートモードにして内容を外に漏らさないようにしているのに、はてなブックマークで、プライベートの記事をブックマークするだけでなく、プライベート内で記述された文章を引用して、プライベートモードのなかで何を書いているかを外に漏らすような、考えの浅い人間と、そういう人物をプライベート閲覧可能にした浅慮な自分を批判したほうが良いと思うよwww